タカセン'CAFE
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...Lastupdate 2020.01.01
カエサルの死後、紀元前44年には、カエサルの功績をたたえ、Quintilisがカエサルの名前を取ってIulius(英語のJuly、現在の7月)に改称されました。

さらに紀元前8年には、皇帝アウグストゥスの功績をたたえ、Sextilisが、アウグストゥスの名前を取ってAugustus(英語のAugust、現在の8月)に改称されました。

こうして、現在まで使われている、月の名前ができあがりました。


西暦325年には「ニケア宗教会議」が行われ、「春分の日」が3月21日に決められました。

この「春分の日」は宗教上のもので、天文学で決められる「春分」とは異なり、日付は固定されていました。

その後、長い月日が経つにつれて暦と季節がまた合わなくなり、16世紀には、天文学で決まる「春分」は、現在の3月11日頃にまでずれていました。


そこで、「ニケア宗教会議」での決定を尊重し春分の日が3月21日頃になるよう、1582年にローマ法王グレゴリウス13世によって、ユリウス暦から「グレゴリオ暦?」への改暦が行われました。  


  この改暦では、ユリウス暦の1582年10月4日の翌日をグレゴリオ暦の1582年10月15日として、春分の日を調整しました。


また、うるう年の入れ方も、ユリウス暦での4年に一度から、暦の1年の長さが実際の1年の長さにより近くなるよう、400年に97回という入れ方に変わりました。


グレゴリオ暦は、世界各国に徐々に受け入れられていきました。

日本では、明治の初めまでは別の暦を使っていましたが、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)として、グレゴリオ暦が導入されました。

日本においては、このときから、現在の1月1日が1年の最初の日になったのです。


結局、1月1日というのは、古代ローマ時代の暦の上で、名前もついていなかった冬の期間の前半がIanuariusと呼ばれるようになり、それがいろいろな変更を経ながらも現在まで続いてきたという、長い歴史的経緯で決まったものです。

天文学上の理由があって「1月1日をこの日とする」と決めたものではありません。